冷戦下に杉原千畝が立会人で
国際結婚したソ連市民と日本人

 かおりさんは商社のモスクワ駐在員だった川村秀さんと、モスクワ生まれのエレーナさんの間に1971年に生まれた。

 秀さんがそのころ勤めていたのは商社の「川上貿易」だった。冷戦時、共産圏だったソ連に、日本の大手商社は直接支店を置くことはなく、ダミーの会社や仲介の会社をソ連に作っていた。その一つが秀さんの勤める会社で、「赤い石油」と言われたソ連産原油を出光興産に仲介していた。

 モスクワ事務所の所長は杉原千畝さん(1900~1986年)。第二次世界大戦中のリトアニアの在カウナス日本領事館で書記官をしていたとき、ナチスの迫害から逃れようと避難してきたユダヤ人に一時通過ビザを発給し、約6000人の命を救ったことで有名な人物だ。外交官を辞めたのちに働いていたこの貿易会社で、そうした過去を吹聴したりはしなかったという。

「68年の『朝日新聞』に、そのとき命を助けられて外交官になったユダヤ人と杉原さんが再会するという記事が出て、初めて知りました。それまでもロシア人のような完全なロシア語を話したうえ、英語やドイツ語も使いこなしていた。大物だった」

 川上貿易は、モスクワ川に近いウクライナホテルに事務所があった。西側の外国人と市民との接触を極力避けるため、ソ連は特定の施設に西側企業やその従業員を集めていた。そのうちの、日本企業の事務所と宿舎が集まっていたのがウクライナホテルで、俗に「日本人村」と呼ばれていた。

 建物の中央に高さ206メートルのとがった塔が配置された中世の城を思わせるスターリン時代のゴシック建築の一つだが、中に入ればエレベーターがぎこちなく揺れる典型的なソ連のホテルだったようだ。ソ連のホテルは各階のエレベーター前に女性職員がいて客室の鍵を預かる仕組みになっている。宿泊客の監視役も兼ねていたと言われている。

 秀さんの部屋の鍵番の女性の娘が、のちに妻となるエレーナさんだった。1969年、18歳の学生だったエレーナさんが母親に用があって、職場のウクライナホテルを訪ねたところ、秀さんと出くわした。秀さんは「それでは」と白いブルーバードを運転してエレーナさんを学校まで送ることになったのだという。