手作りコロッケも冷凍コロッケも
両方あることがこの世界の「豊かさ」

おふたり

國分 突然告白すると、僕は小学生の頃、グルメ漫画の『美味しんぼ』を、もう暗記するくらい読み込んだクチなんです。「フォアグラより、あん肝のほうがうまい」とか、今となっては到底受け入れられない蘊蓄(うんちく)を散々身につけた(笑)。

 でも成長するにつれて、そういった価値観とは距離を置くようになりましたね。『美味しんぼ』は、例えば、お店で冷やし中華を食べて、「この化学調味料の使い方のすさまじさときたら」とくさすなど、「あれはだめ、これはだめ」という抑圧的なところがありますよね。

 もちろん『美味しんぼ』的な本物志向は大切でしょう。でも他方で、化学調味料が使われていようが、そこにある「喜び」も大切にしたい。三浦君の言葉を借りると、日本の食文化の歴史には、「F感覚」と「C感覚」の両方があるわけですが、それにつながる話です。

三浦 グローバル企業が「これぞおいしいスタンダードだ!」と打ち出すものは、「Comfortable」の「C感覚」。それぞれに個性を持った家庭の味や、自然由来の感覚や風味を重視するのが、「Flavor」の「F感覚」。

 どちらがいいということではなく、おいしさにはどちらもある。私にとっては、「C感覚」のコカ・コーラの味もかけがえのない思い出ですし、日本の食文化の「F感覚」の歴史も大事なんです。

國分さん2

國分 本物志向一辺倒ではなく、コンビニ食品やファストフードも含め、「私の体はこれを喜んでいる」という感覚自体を大事にする。

 コロッケを手作りすると、冷凍コロッケを発明した文明の力はすごいと思えてくる。手作りのコロッケも、冷凍のコロッケも、両方あることが、この世界の豊かさであり、風味の多様性だという主張に、私は感動しました。

 僕も子どもの頃は、『美味しんぼ』の(登場人物の)山岡士郎ばりに「冷凍食品など認めない!」という立場でしたが(笑)、自炊を始めた頃に、冷凍食品を見直したんです。

 冷凍食品は、「冷凍」という技術を用い、中には、添加物を最小限に抑え、自然を大切にしているものも多い。一時期、お弁当をよく作っていましたが、冷凍のまま弁当箱に入れておくと、昼どきにちょうど食べ頃になる。自然解凍なのに、パリパリとしている。その時、本当にすごいと思いましたね。冷凍と保管の電力消費が大きい点だけがちょっと難ですが。

三浦氏

三浦 すごい企業努力ですよね。

國分 これこそ文明のたまものですよね。他方で、チェーンのスーパーだけが魚を仕入れるようになったり、おすし屋さんが、全部、回転ずしになったりすると、そこで扱われるわずかな種類以外の魚は、見向きもされず、それらの魚の料理方法も忘れられてしまう。

三浦 効率的な量産品のようなあり方が全面化すると、食文化はやせ細ってしまうんです。

國分 イギリスは食が貧しいとよくいわれますが(とはいえ、最近はかなりおいしくなっていますけれども)、実はおいしい料理もたくさんあったのに、産業革命の本拠地であるイギリスでは、資本主義によって食文化が徹底的に破壊されてしまったという研究があります。また、最近聞いた話では、台湾では自炊をする人が激減して、キッチンのない住宅が増えているといいます。

 今、日本で、一般の人が自分で自然界から直接、生身の食材を取って来られるとしたら、釣りぐらいですよね。ほかは専門家に頼るしかありません。

 それは仕方がないとしても、スーパーには、料理しやすく整えられた肉や魚が売られているのに、それを使って料理することもできなくなったらどうなってしまうだろう。たしかにお総菜パックはありがたいけれど、それしかない、料理はできないというのは、問題ではなかろうか。僕は、「料理をすること=自炊」というのは、「自治」の問題でもあると思うんです。