ついに2017年5月にネット放送も停止。日向寺さんはその年の6月、神奈川県海老名市に住む両親の介護のため、モスクワを離れた。

「3.11」に打ちひしがれた日本へ
ロシアより友情を込めて

 30年にわたって「モスクワ放送」「ロシアの声」でアナウンサーを務めた日向寺さん。社会や経済の混乱の中で、大変な思いをしながら働いてきたはずだ。中でも、ソ連・ロシアの公式見解を伝える仕事は心を苦しめなかったのだろうか。

「ニュースそのものはロシアの立場を伝えるものだった。これは誰かがしなければならない大切な仕事だと考えている」

 いつもロシア当局の言いなりで放送していたわけではなかった。例えば、北方領土の4島について、ソ連・ロシアは自国領という立場を取ってきている。そのニュースを伝えるとき、日本人職員は、ソ連・ロシア側の立場である「南クリル4島」という言い方をせず、「南クリル4島、いわゆる北方領土」と言い換えていた。そうしなければ日本のリスナーには伝わらなかったからだ。

 宮城県美里町に住む主婦の青木郁子さん(72)は「ロシアの声」の熱心なリスナーだった。2011年、東日本大震災のとき、暗闇の中でぼうぜんとしたままラジオをつけ、ダイヤルをモスクワ放送に合わせると、日向寺さんの担当する音楽の時間だった。流れてきたのはアンナ・ゲルマンの「ナジェージダ(希望)」。1970年代のソ連を代表する女性歌手だ。

  希望――それは私にとって、地上のコンパス
  幸運は勇気への報酬

 今どきの歌謡曲とは違うスローテンポな調べに、やさしい歌声が合っていた。日向寺さんは震災で大きな被害が出た日本に心を重ね、少しでも励まそうとこの曲を選んだのだろう。

 青木さんは言う。

「今でも決して忘れられません。この世の全てが終わりなのではないのだと。放送を聞いて、かすかな希望を感じることができました」