ソ連を構成する共和国のうち最大のロシア共和国の大統領・エリツィンの反発もあってクーデターは失速し、わずか3日で鎮圧された。大統領代行、国家元首を名乗ったヤナーエフらは捕らえられた。

ソ連は悪の帝国でも
理想の社会でもなかった

 山口さんがモスクワ放送に入局したのは、1989年初めだった。

「もともと、できる人はできるように、できない人もその人なりに暮らすことができるというソ連の社会に対して共感するところがあったのです。それに、日本で報道されていることは本当なのか。実際に見てみるとどうなのか。知りたくて行ったようなところがあります。行って見てみると、(日本の保守派が説くような)『悪の帝国』でもなく、(革新的な人たちが言うような)すばらしいところでもなく、極端に言われていることは、どちらも正しくないことが分かりました」

 ヤナーエフらの声明を読み上げるときのような、のっぴきならない状況を含めて、ソ連の国家が運営して西側陣営の日本に向けられたモスクワ放送は、いわばプロパガンダを流す場である。どんな考え方で働いていたのだろうか。

「聞かれた方が情報を取捨選択してください、という気持ちでした。『これはソ連の公式見解ですよ』と言いたかった。肩入れするとか、違うとか、自分のメッセージを込めることはなかった。自分の体感は、ニュース以外のところで伝えるようにしていました」

 夏のクーデター未遂事件を境に、ソ連は坂道を転げ落ちるように一気に崩壊への道を進んでいった。ゴルバチョフ大統領は権力基盤を失い、代わってロシア共和国のエリツィン大統領が主導権を握るようになった。

 15共和国のうち、バルト3国が独立を宣言。ロシアなど有力な共和国が独立国家共同体(CIS)を結成した。ソ連という国が間もなく何かに変容していくのは明らかだった。

 寒さが増すモスクワで、日向寺康雄アナウンサー(編集部注/1987年冬、29歳で入局)が歴史の転換点となるアナウンスをした。1991年12月下旬のことだった。

「ソ連がその存在を停止する」

 ロシア語の原稿を翻訳してみると、そんな日本語になった。この一文にあった「スシェスブーエット(存在する)」という動詞の変化形が頭にこびりついているという。