対談は三時間ほどだっただろうか。このまま別れてしまうのはもったいない気がして、飲みに行きましょうか、と誘った。向田さんは気軽にOKしてくれた。

 さらに数時間、飲んでしゃべった。対談は映画のことに絞っているが、そのあとはフリータイムである。本当の四方山ばなしになった。乳がんの手術のあとの腕の神経の話もしてくれた。ぼくは「思い出トランプ」を一冊持って行っていた。著者のサインが欲しかったのだ。でもサインは断られた。手術のあと、右手が自由に動かない。だから字が下手だ。だからサインはしたくない。そういう理由だから、無理強いはできなかった。もっと良くなったら、必ずサインしますからね、と約束をしてくれたのだが……。

 向田さんの話題は豊富である。利き目、利き足測定法、というのがあった。遠くの何か一点を見る。見たものを手をのばして指さしておく。そうして左右それぞれ片目をつぶる。一つは指さした点から動かない。一つは大きくずれる。動かない方が利き目である。ぼくは左右平均に見ていると思っていた。つまり片方ずつ、均等にずれると思ったのだ。けれども片方は大きくずれ、片方はずれないのである。意外な事実。教わらなければ知らないままでいた。知ったからと言って、何の役に立つというものではない。でも知ると何だか面白い。それが雑学の雑学たるユエンで、そういうことを熱心に語るのはぼくの最も好むところ。ぼく向田さんをますます好きになっていた。そこの酒場独得のオリジナル・カクテルを、ぼくはすすめ、向田さんもおいしいと飲んでくれて、ぼくも酔いが回り、利き足測定法の方は、もう憶えていない。

 その店のオーナー兼バーテンダーは、向田さんのファンであった。数日後、「いい人を連れて来てくれました」と言われ、ぼくは得意になって、「また一緒に来るからな」なんて威張ってみせた。だがそれきりになった。向田さんはもう一度その店に、友人お一人と一緒に行っている。と言うことはその店が気に入ってくれたからで、そのことも嬉しかった。

 妙な話だが、ほとんど別れ際の話題は、飛行機事故のことだった。向田さんが澤地久枝さんとペルーに行った時、お二人がリマに着く直前に、アマゾンで飛行機事故があった。その飛行機に乗る予定だったのだ。そのことはエッセイ集「父の詫び状」にも登場する。別の会社の飛行機でお二人は同じコースを飛んだのである。ジャングルに落ちた飛行機には九十二人乗っていて、そのうち一人、十七歳の少女が奇蹟的に助かった。何故助かったかという話は「父の詫び状」には書かれていない。事故の日はクリスマス・イヴだった。近距離コースだから、普段は食料を持ち込む人は少い。その日はクリスマス・ケーキを持っていた乗客が大勢いて、少女はそれを集めて食いつないだ。彼女の父親は地質学者で、少女には父から教えられた地質に関する基礎知識があった。それがジャングルから脱出するのに役立った。またその地帯には猛獣や毒蛇のたぐいがいない。そういう、本には書かれていない部分を、向田さんはぼくに話してくれたのだった。