さて、舞台は「横尾忠則そしてインド、篠山紀信」という妙な名前の展覧会の会場であった。展覧会の主役である二人を、友人であるぼくが会場に訪ねる、という設定。

 VTRで撮られたのであるが、われわれ三人、お互いによくわかっているので、かえってしゃべることがない。写真展の会場だったから、並んでいる写真について、写っている風景や人物についてボソボソしゃべっていた。

 ようやく乗ってきたなと思われた時、ディレクターが「カット!」と叫んだ。そして「即物的な話はそのくらいにして、内面的なお話をお願いします」と言うのだ。それでぼくはすっかりダメになってしまった。わたくしから即物的なことを取ったら何も残らないのである。内面的な話なんぞひとつもない。で、それ以後ぼくはおし黙ってしまった。ところでその番組はVTRを撮ってからもうひと月にもなるのだが、いっこうに放映される気配がない。あまりにもつまらない結果に終ったので、没になったに違いないと、わが家では話しております。

糸井重里と湯村輝彦の作る「ナンセンスをさらに超えた」本

「情熱のペンギンごはん」という本がありましてね、版元は情報センター出版局。著書は糸井重里と湯村輝彦。この本は何と言ったらいいんでしょうねえ、題名を聞いただけで、何だか胸躍る感じさえするのだが、漫画と言うべきか、劇画というべきか、実に妙ちきりんで猥雑で面白可笑しいのである。糸井重里という男はコピーライターが本業であるが、ジュリーが歌った例の「TOKIO」の作詞者でもある。湯村輝彦はぼくと同業、つまりイラストレーター。原作糸井、絵が湯村。

 湯村輝彦の絵というものは、ご存知の方はご存知であろうが、うっかりすると、何だ、この下手糞、と言いたくなる絵。しかしながら実は、彼はたいそう絵のうまい人で、うまい人が一見下手糞ふうに描く凄み、とでも言いましょうか。そういうしたたかな連中の作る本だからね、ちょっと唖然とするわけだが、唖然とした上で、やられたなあ、とも思う。ナンセンスなどというものをさらに超えちゃってるわけで、ぼくは憧れてしまうのだ。