しかし、畏れるだけでなく、雨を愛でるという一面も強く、絵画の世界にも大きく影響しました。日本の絵画と雨の歴史は、中世の水墨画の時代に、にじみなどを利用して雨を描くことから始まっています。当初は、中国の山水画を真似たものが中心でしたが、その後、浮世絵の時代に入って、表現の仕方が一気にバラエティーに富んでいきます。そして、広重などの浮世絵師が、既存の表現だけにとらわれず、場所や視点を自由に変え、より写実的な雨の表現を試みていったのです。

ゴッホにも影響を与えた
広重の「雨」の表現

 浮世絵と同じくらいの年代の19世紀後半で言えば、雨が主題なものに、ターナーの《雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道》やカイユボットの《パリの通り、雨》などがあります。雨粒はほぼ描かれておらず、湿度を含んだ背景や雨に濡れた大地、雨が降っていそうな怪しい雲行きで巧みに表現されています。ゴッホは、雨を大胆な斜めの線で描きましたが、広重などの浮世絵の影響を受けたものと言われています。そう考えると、広重の雨の表現は斬新で、雨粒の表情が豊かだと感じます。どんな季節のどんな雨かということに面白みを感じているようで、雨の降り方が多様な日本らしい表現といえるのかもしれません。

 そして、その表現方法は、マンガやアニメの世界にも引き継がれました。全体のトーンを暗く、背景にグラデーションを利かせて、雨の線を白くスッと入れる。大雨は線を太く、風が吹いていれば斜めから。小雨は点の数を多くして軽いタッチで。水たまりには波紋なども加える。そうした雨のシーンを入れることが、物語の行く末を暗示させたり、登場人物の気持ちを代弁させたりするといった重要な要素として用いられているのです。

書影『天気でよみとく名画』(中央公論新社)『天気でよみとく名画』(中央公論新社)
長谷部 愛 著

 雨に感情をのせて表現することは、『万葉集』に載っているように和歌の時代から始まり、日本人の暮らしの一部として根付いていきました。今でも気象情報を伝える言葉は、単に強弱を知らせる強い雨や激しい雨など直接的な言葉だけでなく、緑雨(りょくう)や時雨など季節の情感を持った表現が好まれることもあります。そして、絵の世界にも自然に取り入れられ、現代作品まで通じるものになっています。

 日本人は、表現された雨を様々に解釈し、自身の思い出とリンクさせ、豊かに鑑賞することができます。私は、日本人が風景画を好むと言われる理由の一つもここにあるのではと思っているのです。幼い頃から四季の経験を重ね、思い出と一緒に閉じ込めたり、表現を学んでいったりすることで、雨を楽しむ術を自然と身に付けていくのではないでしょうか。雨を多様に捉えることは、人生をより豊かに過ごすための、日本人の知恵の結集なのかもしれません。