中国で夢敗れ貧困に陥った70代日本人男性、アジアを漂流する高齢者が求める居場所多文化共生の素地があるマレーシアは、日本人にとっても居心地のよさがある(著者撮影)

4月28日、フジテレビ系列の番組『ザ・ノンフィクション』で、フィリピンに渡った日本人男性の末路が放送された。題して「私の父のなれのはて~全てを失った男の楽園~」。実は筆者にも、彼のような生き方をしている人たちに心当たりがある。2000年代、世界の中心として脚光を浴びた中国・上海で商売を当て、現地女性と深い関係になり、その土地の人と化して日々を送る…。そんな日本人男性は一人や二人ではなかった。あれから約20年がたち、今や後期高齢者となる人もいる。彼らは今、どこでどうしているのだろうか。(ジャーナリスト 姫田小夏)

2000年代に「一獲千金」を夢見て中国へ渡った“一匹狼”の男たち

 近年、サプライチェーンの再編とともに、中国からヒト・モノ・カネの脱出が加速している。工場や商売だけではない。人の流れもまた、中国から東南アジアへと南下をたどる傾向が見て取れる。

 2000年代前半の上海には、さまざまな背景を持つ日本人が集まっていた。企業の駐在員や出張者もいたが、発展途上の上海で商機をつかもうと、うごめく“一匹狼”たちもいた。たいていのことは金銭で解決できるという“規制の緩さ”に引き寄せられる40~50代が、単身で乗り込むケースが多かった。

 そんな上海の日本人コミュニティーの片隅に、“一匹狼たち”が冗談半分で組成した「マイコツ(埋骨)会」という集まりがあった。

 日本に帰る場所がある駐在員とは異なり、“片道切符”同然で上海にやってきた日本人には、一種の覚悟があった。「骨を埋める覚悟でやろうじゃないか」――と夜な夜な飲食店に集っては、ビール片手にもうけ話に花を咲かせていた。

 単身で乗り込む“一匹狼”の中には「知らない間に孫ができていた」という人もいた。日本に残してきた家族との疎遠ぶりは、表向きの“辣腕商売人”の顔とは裏腹に、哀愁漂うものがあった。

 しかし、上海経済の隆盛期に活躍していた日本人も、今では雲散霧消した。2000年代の後半にはカンボジアへ、2010年代初頭にはバングラデシュへ…。人件費や賃料などのコスト高騰を主な理由に、かなり早い段階から中国を脱出する“一匹狼”が目に付くようになった。

 こうした時代の風雲児たちの中には、現地で所帯を持った人もいるが、終の棲家(ついのすみか)を考える時期、彼らは今どこでどうしているのだろうか。