座って体を丸める女性写真はイメージです Photo:PIXTA

毒親とは、あらゆる手段で子どもの人生を支配し、悪影響を与える親のことだ。毒親は子どもの心と人生を破壊することも少なくない。珠実さん(仮名・36歳)は、ある家庭環境が起因して19歳からいままであらゆる風俗で働き続けてきたという。彼女の真意をノンフィクションライターの中村淳彦著『私、毒親に育てられました』(宝島社新書)より一部抜粋・編集してお送りする。

子どもを人間と
思わないクズ親

 元企画AV女優で現在は風俗嬢の珠美さん(仮名・36歳)とは、数年前に出会っていた。彼女もまた、毒親育ち。その日、どうしてこういう流れになったのかははっきりしないが、珠美さんへの取材は、深夜の車中、2人でドライブという状況で行われた。

「裸以外の仕事はちゃんとやったことない。30歳過ぎたあたりで頭がおかしくなって、実は3回自殺未遂しているのよ。でも、生きちゃってさ。死にたいのに生きている。けど、クソオヤジだけは絶対に許せない」

 珠美さんの家庭環境は複雑だった。3姉妹で、珠美さんと妹がトラックの運転手をしている父親の娘であり、姉は父親とは血が繋がっていない。

「父親だけじゃなくて、両親とは昔から仲が悪い。娘を生き物として認めてない。両親は無償の愛とか、そういうのに欠けている人たち。

 そもそもあの人たちが結婚したのは、母親の連れ子を父親が狙っていて、母親がそれを知りながら父親のとこに転がり込んだ。父親が狙っていたのは、姉。前の夫の娘を連れてきた母親が『この子が大きくなったら、この子と結婚していいから』と言って一緒に住んだ。当時、姉は7歳とか」

 珠美さんが嫌悪している父親のことを母親は愛していた。

「小学生からずっと小遣いなし、私立高校はいっさいダメ。どうしても高校に行くなら都立で歩いて行けるとこ。電車とかバスとかお金がかかるから絶対乗るなって。貧乏もそこまでいけば笑っちゃうよ」

 その後、19歳でピンサロ嬢になり、ヘルスからソープまでのフルコースを経験した。

「姉もあたしも学校ではイジメられっ子だった。貧乏で着るものもなかったから、『汚い、汚い』『なんとか菌』とか。トイレに連れてかれて水かけられてブラ透け透けにされるとか。そういうことがあったから、風俗にすぐハマっちゃった。人から必要とされることがうれしいっていうか、評価がうれしかったんだろうね。最初に勤めたピンサロは天職くらいに思ったもん」

 裸の世界を続けるのは、裸の世界以外に自分を必要とされる場所が見つからないことが理由だった。

姉を犯し続けた
「ド鬼畜のクソオヤジ」

「ちょっと近くだから、あたしが子どもの頃に住んでた家に行ってみない?」

 そんなことを言いだした。道案内されながら川越街道を走り、自衛隊の駐屯地を越えたあたりで曲がると住宅地となる。幅が4メートルない入り組んだ道をゆっくりと走ると、古いアパートばかりの昭和に戻ったような一角に突入した。どこを曲がっても同じような風景で、目印になるような店や自動販売機などはない。