大量のホルトとナット写真はイメージです Photo:PIXTA

中東のレバノンに逃亡したカルロス・ゴーン被告は、かつて日産のトップとして「ケイレツ」破壊を断行した。だが、日本メーカーのぬるま湯的な取引慣行の象徴と見られがちな「ケイレツ」は、本当に後進的なものだったのだろうか?※本稿は、岩尾俊兵『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

囲い込まれた研究所から
イノベーションは生まれない

 オープン・イノベーションという言葉がビジネスの世界では流行り言葉、バズワードとなっている。

 企業人による使用のみならず、経済・産業政策の現場や大学改革の文脈など、あらゆる場所で「オープン・イノベーション」という言葉が使用される。

 ここで、はじめにオープン・イノベーションという概念の確認をしておくと、その名の通りイノベーションをオープンにする、ということである。それではどうオープンにするのか、それまではオープンではなかったのかということになる。

 そして、オープンの反対はクローズまたはクローズドなので、クローズドだったイノベーションをオープンにするということになるだろう。

 たしかに過去の一時期、世界の企業はイノベーションをクローズドな状態にすることで利益を得てきた。具体的には、企業は中央研究所を設立し、優秀な研究者・開発者を囲い込み、研究開発に従事させてきたのだ。

 特に、「日本的経営の三種の神器」ともいわれる定年までの終身雇用・年功序列・企業内組合という「企業人としての一生を一つの企業で過ごすのに適した環境」を用意してきた日本企業においては、その囲い込みが顕著だった。

 この中央研究所ブームに対して再考を促したのがオープン・イノベーションだったといえるだろう。

 前提として、現代の製品開発競争の環境は、複雑で不確実になってきているといわれる。

 製品一つ開発するにしても、ひと昔前とは、考慮すべき事項の数が違いすぎる。製品が環境に与える影響を考えねばならないだろうし、スマートフォンとの連携も考えねばならないだろうし、機械であってもインターネットにつなぐ必要があるだろうし、しかも価格はこれまでよりいっそう安くないといけない。

 そのような複雑で不確実な状況においては、新製品開発に必要な技術・知識が多すぎるために、自社の資源だけでは不十分となる。そのため、従前型のクローズドな囲い込み型の製品開発では、もはや新しいものを生みだせない。だからこそオープン・イノベーションの時代になったというわけである。

自社の技術をライセンシングした資金で
他社の技術や特許を取り込んでいく

 それでは、具体的にどうイノベーションをオープンにするというのだろう。