直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身おすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【直木賞作家が教える】ウクライナ戦争に関わる“意外な重要人物”とは?Photo: Adobe Stock

ウクライナ軍事侵攻

2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、世界に大きな衝撃を与えました。日本でもこの戦争への関心は高く、報道に心を痛めている人はたくさんいます。

ニュースでは街頭インタビューなどで、「早く戦争が終わってほしい」と願う人の姿がたびたび報じられています。

では、同じ街頭インタビューで、「なぜロシアはウクライナに軍事侵攻したのですか?」と聞いたとしたらどうなるでしょうか。

なぜこうなっているのか?

70~80点レベルの回答ができる人は、非常に限られるのではないかと思います。

日本人は知的レベルが高いとされてきたはずなのに、情報があふれすぎているせいなのか、物事を深く知ろうとする意欲が薄れてきているように感じます。

大切なのは「どうしてこうなっているのか」に関心を持って調べること。まずは知識を持つことが、深い議論につながります。

ウクライナ軍事侵攻に関わる
「意外な人物」

私の解釈では、ウクライナ戦争に関わる発端の重要人物の1人は、チンギス・ハンです。

「究極のところ、チンギス・ハンのせいで今、戦争していると思ってくれたらいいわ」というと、若い世代の人たちは、けっこう興味を持ってくれます。

世界地図を塗り替えた
モンゴル帝国

チンギス・ハンは13世紀に騎馬民族同士の争いに終止符を打ち、民族を統一してモンゴル帝国を建設しました。

モンゴル帝国は中国全土を支配しただけでなく、さらに遠方へと遠征を行い、北はモスクワ、南はベトナム、そして西はポーランドまで版図を拡大。

一時はドイツフランスに攻め込み、これを領土にしかねない勢いで世界地図を塗り替えていきます。

「元寇」の背景にも
モンゴル帝国

このときにロシアもウクライナもモンゴル帝国の支配下に置かれていたのです。

資料を見ると、西洋の騎士たちが団結してモンゴル帝国に立ち向かうものの、完膚なきまでに叩きのめされていることがわかります。

一方で、モンゴル帝国の後裔(こうえい)の一国である元は、東側にも侵略を試み、海を渡って日本に上陸します。これが「元寇」の始まりです。

世界的に高水準だった
日本の軍事力

日本は文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と二度にわたって元の侵略を受けますが、いずれも退けることに成功しています。

元寇について教科書で学んで知っている人は多いのですが、西側はポーランドまで侵攻していたと知ると、モンゴル帝国の巨大さがイメージできます。

また、ヨーロッパがモンゴル帝国に蹴散らされていたのと比べて、日本がモンゴル帝国に勝利していたというのも見逃せないポイントです。

「神風」といわれる大暴風が吹き荒れたなどの理由もありますが、結果的に見ると、当時の日本の軍事力が世界的に見て高い水準にあったことがわかります。

※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。